世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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その「逃げろ」、「負け犬は去れ」になっていないか?

どうして逃げないの? - 過ぎ去ろうとしない過去

「いじめを苦に自殺」といったニュースを目にするたびに、「死ぬくらいなら逃げればいいじゃん」と思うぼくですが、このエントリーを読んでちょっと考えを改めたというか。

「死ぬくらいなら逃げろ」というのは正しいアドバイスだと思うのだけど、それによって「いじめ」が解決するわけじゃないという当たり前のことを、ふと忘れてしまいそうになるのね。
逃げることでとりあえずの「死」は回避されるけれど、死が回避されればめでたしめでたしという話ではない。
本当に重要なのは、「逃げたあと、どうするか」です。
逃げるという選択肢は、そのあとに態勢の建て直しがあってこそ、有効な策と言えるのではないでしょうか。
なのに、ぼくら傍観者たちは、死が回避されたところでめでたしめでたしで「この話は終わり」とばかりに処理してしまっているような気がする。

「逃げたあとのアフターケアも考えて」という話をしようというのではない。
「いじめ」があったとき、その対処というのは誰がどう考えたって、いじめた人間に対する「裁き」だよなぁと、そう思うわけです。
言うなれば、正義が執行されること。
いじめた人間がきちんと裁かれ、学校に秩序が回復すれば、いじめられた人間は自殺することも不登校になることもないのではないか。

「それが出来れば苦労はない」という話であることは分かっています。
それが期待できないから、とりあえず「逃げろ」という話であるということも。

ただ、なんというかなぁ、「とりあえずやられているほうが対処しろ」という考え方が当たり前になってしまうのは、やっぱりまずい気がするのですよ。
ネットのことで言えば、「嫌ならコメント欄を閉じればいい」「嫌ならアクセス制限かければいい」「嫌なら別のブログに移ればいい」などなど、けっこうよく目にしますけど。
そういう物言いを見るにつれ、なんかモヤモヤしていたんですが、ようやく自分のモヤモヤの理由が分かりました。
つまり、「迷惑被っているほうが折れなきゃいけないなんて、おかしいだろ」ってことだ。
いじめているほうがそのままで、いじめられているほうが逃げるにせよ、態度を改めるにせよ、自分の生き方変えなきゃいけないのはおかしいよね。
そんなのは理不尽だ。
ましてや、いじめる側まで「逃げればいいじゃん」などと言うようになったら、おしまいです。
「逃げろ」と言うことで、そんな雰囲気づくりに加担してしまってはいないかと自らを省みる次第です。

「逃げろ」と言うとき、一番かっこいいのは、「ここは俺が何とかするから」ですよね。
「お前を逃がして、俺が敵と闘うぜ」というヒロイックな「逃げろ」ならカッコイイ。

それが無理なら、「逃げろ」は、逃げて態勢を立て直せという意味合いで使うべきでしょう。
そうなると、「逃げるのは簡単でしょ」というニュアンスでは使えない。
戦略が違うだけで、「闘え」というのと同じことだから。

そうでなければ、残る「逃げろ」は、「負け犬は去れ」ということだと思う。
相手を慮って言っているつもりでいても、何もないただの「逃げろ」は、意味合いとしては「負け犬は去れ」と同じなんじゃないかな。

いずれにしても、いじめっ子への非難が主で、いじめられっ子の避難が従であるべきで、それを踏まえての「逃げろ」でなければならぬと、今後は意識しようと思います。
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by kude104 | 2008-04-09 16:08