世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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眠れる運命の奴隷

仏滅上等: ゲーマーのための佛教講座
仏滅上等: 「ジョジョ好き」のための佛教講座

「輪廻」というものをゲームやジョジョで説明してみました、というエントリー。
実に分かりやすくて面白いね。

ぼくなんかは仏教についてほとんど知らなくて、「輪廻」と言えばまさに「生まれ変わり」というくらいの認識しかなかった。
なので、輪廻の虚しさであったり、輪廻の輪から抜けんとする気持ちというのが、いまひとつピンとこなかったわけです。
「生まれ変わり」って、どちらかというと、「もっとましな人生に生まれ変わりたい」という希望になりうるから。

でも、輪廻というものを「レクイエムの発動」と考えると、ちょっと分かる気がする。
生きることが苦しみであるならば、輪廻というのは苦しみを何度も何度も無限に繰り返すことになる。
「ああ、ようやく死ねる。これで苦しみが終わる」と思って死んでみたら、また生き返って、再び同じような苦しみの人生を送る。
それが延々終わらない・・・。
これはたしかに、「空しい繰り返し」であり、「真実に到達することの無い絶望」だと思う。

でも、「レクイエム」ならまだいいかも知れない。
「生まれ変わり」なら、そうは言ってもまだ「ましな人生」というものがあって、それに生まれ変われるんじゃないだろうか・・・という希望が持てる。
でも、輪廻が「バイツァ・ダスト」だったら、その絶望感は半端じゃない気がする。

「バイツァ・ダスト」な輪廻とは何かというと、生まれ変わりもせず、自分の人生を延々繰り返すというもの。
ぼくらは時間は不可逆だと思っているから、まさか自分自身に「生まれ変わる」なんて普通想像もしないけど、「魂」の世界のことだから分からないよ~。

この虚しさを、たとえば「自殺」で考えてみると分かりやすい。
苦しい人生に耐えかねて、自ら命を絶つ。
ああ、これでようやく楽になれたと思ったら、また同じ人生がスタートするわけだ。
そうして同じ人生をたどり、同じように自殺して、また最初に戻って、同じ人生をたどり、同じように自殺して・・・。
これの何がたちが悪いって、本人に同じ人生を延々繰り返しているという自覚がないこと。
自覚がないから、抜けだせない。
その様子を「外」から見たならば、これ以上に「空しい繰り返し」であり、「真実に到達することの無い絶望」はないだろうね。

もし輪廻が「バイツァ・ダスト」なら、そこから抜け出す方法はあるのか・・・。
佛教的な「解脱」については知りませんが、テツガク的に考えるなら、答えはたぶんこうじゃないかな。
つまり、死ぬ瞬間に、「自分の人生はいい人生だったな。もう一度生まれ変わっても同じ人生を送りたい」と心から思えること。
その瞬間、輪廻は「苦痛」ではなく、幸福の繰り返しとなるので、なんというか輪廻自体が無効化する。
輪廻から抜け出したいと思わなくなった時が、輪廻から抜け出たときとでも言うか。


『プレーヤー(佛教徒)はリセット(自殺)を禁止されてるから仕方無しにプレイする(生きる)のでは無くて・・仮に反吐が出るような厳しい状況にあっても
「今回のプレイ(人生)で ゲームクリア(悟りに到達)したる!」
と思って プレイしている(生きている)わけです』

これぞまさにジョジョが描く人間賛歌ですね。
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by kude104 | 2008-02-14 17:35