世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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原罪と贖罪

クリスマスも近いということで、キリスト教の話でも。
「宗教の勧誘冊子を読んでみた」という話を以前にしましたが、その後も、そのときの勧誘の方が定期的にいらっしゃって、ちょっとした交流が続いています。
まぁ、交流といってもインターフォン越しに5分10分話をするだけですが。

基本的に、ぼくが「冊子にはこう書いてありましたけど、この論旨だとこういうケースも考えられるんで、これだけでは聖書の正しさを証明したことにはならないんじゃないですかねぇ」などと感想を述べて、あちらの方が「聖書にはこんなふうにも書いてあるんですよ」と答えて、「へー、そうですか」で終わる感じ。
だいたい、話は噛み合わない。
でも、べつにこちらとしては向こうを説得したり論争したりするつもりはないし、向こうも今のところこちらを説得したり勧誘したりする気もないらしいので、問題ないというか。
言わば、世間話みたいな感じで、それなりに楽しいっちゃあ楽しい。
ま、そう思っている間にジワリジワリと外堀を埋められていて、気が付いたら絡めとられている――なんてことにならないよう、気をつけなければなりませんが。
とはいえ、冊子を読めば読むほど入信する気が失せる内容のようにぼくには思えるんだけど、あれ読んで入信する気になる人っているのかなぁ・・・。

ま、そんなこんなでそれなりにキリスト教について考える機会があるので、今日はいま気になっていることをつらつらと書いてみようかと思います。

キリスト教では、「原罪」と「贖罪」という考え方がけっこう重要らしい。
アダムとイブが神様の言いつけを破って禁断の実を食べたために、その子孫たる人類は生まれながらに「罪」を負うようになったという。
これが「原罪」。
で、イエスが十字架に架けられたことで人類の罪はあがなわれたというのが、「贖罪」。
なんでも、神様が人類を救済するために愛するひとり息子(イエス)をこの世に遣わし、その死でもって人類の罪のあがないとした、ということらしい。

この話がどうも腑に落ちない。
なんでこれで罪があがなわれるんだろう。

AさんがBさんに対して罪を犯した、と。
Aさんが人類、Bさんが神様ですね。
神様が愛する一人息子をこの世に遣わしたというのは、たとえるなら、Bさんの大切なものをAさんに渡した、という感じでしょうか。
で、それをAさんが壊してしまうわけですね。
神様の一人息子を人類は磔にして殺してしまうんですから。
で、それによって、BさんはAさんの罪を赦すわけです。

これ、加害者たるAさんはちっとも反省していないし、償い的な行為もしていないですよね。
むしろBさんのほうがAさんに対して賠償している形になっている気がする。
なので、神の一人息子であるイエスの死をあがないだとするなら、それは「神」の罪のあがないなんじゃないか・・・と思ってしまいます。
つまり、神様が、人類に対して負わせてしまった「原罪」をイエスの命を差し出すことで「贖罪」したんじゃないのかなぁ。
赦すのは人、赦されるのは神ってこと。

――もちろん、そんな解釈がキリスト教で成り立つはずもないですが。
こーゆーことを考えて勧誘の人に話したりするのは、けっこう楽しいです。
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by kude104 | 2007-12-23 23:59