世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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ケータイ小説と初音ミク

こどものもうそうblog | ケータイ小説の新しさと古くささ

ケータイ小説の新しさを

ケータイ小説は、とうとう「少女が書く→少女に届く」という構図にまで変化した。
大人がじょじょに排除された世界なのだ。
として理解するのは、まさに慧眼ではないかと思う。
なるほど、ひとつ腑に落ちた気分なり。

今どきの少女たちが――って実際のところはよく知らないのだけど、イメージとして――ケータイ小説に夢中になる感覚は、ぼくらが初音ミクに興奮する感覚に似ているんじゃないかと思う。
初音ミクだって、今はどうかわからないけど、火がついた時点では、まだまだとてもじゃないけど純粋に楽曲として聴くにはクオリティの低い代物だった。
だからたぶん、それなりに音楽に慣れ親しんだ人たちは、「あんなものは歌じゃない」って思ったのじゃないかな。
ケータイ小説が「あんなものは小説じゃない」と言われるみたいに。

ケータイ小説にしろ初音ミクにしろ、それらに熱中している人たちは、クオリティが(従来のものと比べて)優れているから熱中しているわけではない。
「自分たちが発信している」という部分で、熱中しているのではないか。
ケータイ小説なら「大人の編集を必要とせず」、初音ミクなら「レーベルや歌手を必要とせず」に、自分たちの力だけでそれなりのコンテンツを生み出している――って部分に熱中しているのではないか。
身内意識と言うのかな。
たとえば、外国人選手より日本人選手の活躍に興奮するように、身内意識があるのとないのとで、同じものでも受ける感動が何十倍も違ってくるように。

ケータイ小説は「自分たちと同じ女子中高生が書いた実話」的な背景それ自体がドラマなんだと思う。
編集されていない“奇妙”な文体も、そのドラマを盛り上げるリアル感なんだね。
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by kude104 | 2007-11-16 18:40 | PC&ネット