世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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知ったことか

heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ

幸せを語れば、必ずその裏で誰かが傷ついているとしても。
一言で言うならば、「知ったことか」と。

もちろん、どこにラインを引くかという問題はある。
誹謗中傷で誰かを傷つけて「知ったことか」では通らない。
だから、すべての言動が「知ったことか」で許されるわけではないけど、逆に言えば、すべての言動について傷つく誰かに配慮しなければいけないのだとしたら、ぼくらは何もできないし何も言えなくなるでしょう。
そして、何もできない、何も言えないことでさえ、誰かを傷つけてしまうかも知れないから、身動きとれなくなるよね。
だから、幸せを語れば必ずその裏で誰かが傷ついているとしても、ぼくらは「知ったことか」で進むしかないのだよ。

「あなたが幸せを語ることで私が傷つくから、配慮せよ」と言う。
でも、私があなたに配慮しなければならない理由は、残念ながらたぶん何もない。
知人友人ならいざ知らず、不特定多数の中の一人であるあなたに。
「私に配慮せよ」「私に優しくあれ」と要求する。
そんな要求がホイホイ通るほど、世の中は優しくないのです。
求めれば与えられるのは乳幼児まで。
(それすら厳しい世の中です)

だから、結局、自分が変わるしかないのだと思う。
他人の幸せ話で傷つく自分がいるとして、傷つくのが嫌なら、他人を変えるか自分を変えるかしかないわけだけど。
他人を変えようと思ったら、誰かが幸せ話をするたびに、その誰かを変えていかなきゃならない。
会うたび会うたび、他人を変えて、他人を変えて、他人を変えて、他人を変えて・・・。
それは死ぬまで延々続くよ。
そんなふうに死ぬまで苦労して他人を変え続けても、当の自分は変わっていないのだから、それはせいぜい「不幸にならないように努力しました」というだけのことで、幸せになることはできないと思う。

同じ苦労するなら、自分を変える努力をするほうが、よっぽど希望があると思うわけだ。
「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」って言うじゃない。

「自分は変えられない」と言うのなら、それこそ「知ったことか」と。
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by kude104 | 2007-11-07 21:35