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世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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ポストされた宗教冊子を読んでみた

うちにも時々宗教の勧誘の方がいらっしゃるのですが、いつもインターフォン越しとはいえ、一通り話を聞いて冊子をポストに入れておくことを許可しているものですから、「このひと脈ありかも?」と思われたのでしょうか。
今日はいつもより親しげに話をし、そしてポストされた冊子には「関心をお持ちいただければ嬉しいです」的な手書きの一言メッセージが添えてありました。
まぁ、この程度の“接近”はぜんぜん気にしませんが、信仰する気もさらさらないので、無駄足を踏ませて悪いなぁ・・・と思わないでもありません。

とまぁ、せっかく何やら気合いの入った冊子(いつものペラペラのやつより分厚くて200ページ以上もある)をもらったことだし、ちょっくら興味がてら目を通してみるかと思ったのですが、いやはやなかなか一癖ある読み物ですね。

何と言ったらいいのだろう。
読んでいると、微妙に話が通じない感覚を覚えるのですよ。
「この人はいったい何を言っているのだろう?」的な。
微妙に論理的じゃない。
まったくの支離滅裂じゃなくて微妙に歪んでいる感覚が、ずっと読んでいると読み手の平衡感覚を狂わせるような。
そこに繰り返し、「神は絶対です、聖書は絶対です」的な文言が繰り返されるので、なにやら呪術的というか暗示に掛けられているかのような気がしてきます。
これ、心が弱ったときに読むと効くのかも知れないな。
まぁ、初めから斜に構えて読んでいる身には、突っ込みどころ多いなぁといった感じになっちゃうわけだけど。

冊子の冒頭で、「どうして神様は世の悪を取り除いてくれないのだろう?」という疑問を提示し、それに対する答えを述べようとしているのはいいね。
それって、まず誰もが思う疑問だもんね。

冊子答えて曰く――
「それは神の試練です」という人もいるけれどそれは違う。
それが神の試練なら、世の悪が神から出ていることになるから、それはおかしい。
神は試練を与えたりなどしないのです。

この回答はなかなか良い。
たしかに、阿鼻叫喚の地獄絵図のような不幸を“試練”で与える神様ってどうよ?って思ってしまうものね。
だから、試練じゃなくて、もっと別の理由があるのです、と。
その理由とは何かと言うと、冊子答えて曰く――

世の不幸は、人間がサタンにそそのかされて神の支配を拒否したために起こっている。
もちろん、神様は人間の間違いをただちに力でもって正すことはできるけれど、人間が自分でその間違いに気づくように、あえて人間の好きにさせていらっしゃるのです。

・・・そういう解釈は好きよ。
でも、「人間が自分でその間違いに気づくように、あえて」という、それを人は“試練”と呼ぶのではないでしょうか。

神はあえて、人を“自由意思”を持つものとして創造されたのだと冊子は言います。
冊子を読んでいて、ぼくが一番心が奮えたのは、アダムとエバの反逆のくだりです。
「自分たちには支配者としての神は必要ない。何が正しく何が間違っているかを自分たちで決定できる」としてアダムとエバは反逆したという。
なんという愚かで気高い宣言!
「何が正しく何が間違っているかは自分たちで決める」という、言うなれば魂の独立宣言ですよ。
それはたしかにこの世の不幸のすべてを秤にかけるに足る崇高なものかもしれないと思えるじゃないですか。
そのことを尊重するからこそ、神はあえて人間のなすがままに見守り、世の不幸に心を痛めつつもをそのままにしていらっしゃるのではないでしょうか。
喩えるならば、自立すると言って家を出た子供と、それを見守る父親の関係ですね。

そういう解釈であるなら、“試練”も仕方がないと思えます。
その場合、神は未来永劫救ってくれないことになりますが、しょうがない。
人間が自ら自治すると言い出したんですから、神に頼ることなく自治能力を獲得できるように頑張る他ない。
まぁ、ときどき実家からお米が送られてきたりするくらいの援助はあっていいと思いますけど、お父さん・・・みたいな。

しかしながら、冊子のほうでは、人は神の代わりにサタンの支配下に入ったことになっていますから、独立宣言と言うよりは主君換え宣言になっちゃってますね。
で、神様のほうも、いずれ最終的には悪を力で殲滅して、自らの支配を受け入れる人間集めて神の王国を築くおつもりだという話のようで。
このへんがよく分からないんだよなぁ。
それだったら、とっとと悪を殲滅して平和な世界を作ったらいいのに。
でないと、神に反逆するとひどい目に遭うことを知らしめるために今の“試練”があるということになって、初めの言葉と矛盾するんじゃないのかなぁ。

だいたい、諸悪の根源とも言えるサタンですが、これは“神の霊の子”のひとりが自ら悪魔になったという。
サタン誕生の前には悪は存在しなかったわけですから、言うなれば、完全なる善の世界においてすら悪は生まれるということです。
それは、神の全知全能性の矛盾にならないのだろうか。
だとすれば、善良なる人の子を集めて神の王国を築いたとて、そこにも悪は生まれるんじゃないのかなぁ。

――とまぁ、そんなことを思ってしまうわけですが、ただこれは冊子をすべて読んでの感想ではありませんので悪しからず。
適当なところをつまみ読みしただけです。
いちおうまぁ、礼儀として全部きちんと読むつもりですので、これはいわゆるファーストインプレッションとしての感想です。
by kude104 | 2007-10-11 23:59