世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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「できない」も「しない」も同じ

G★RDIAS - 「本当は、できるでしょう?」の原初的風景

たしかに、「できない」のではなく「しない」のだと思う。
ただ、「できない」と「しない」の境界線って、けっこうあいまいだと思う。

たとえば貧乏で募金「できない」状況だとする。
でも、だったら死に物狂いで働いてお金を稼いで募金すれば「できる」と考えれば、それは「できない」のではなく「しない」だけだろって物言いが通る。

「できない」というのは、自分の手持ちのリソースの中で「できない」という意味で、そのリソースを超えてまで「しない」ということでしょう。
じゃあ、財布の中にたくさんお金のある人が募金「できない」のはなぜかというと、募金したいという感情が湧かないから「できない」のだ。
つまり、ここでのリソースは金銭ではなく、感情であり、行動エネルギーです。

チャリンと小銭を入れるくらいの行動エネルギーも持ち合わせていないのかという非難に対しては、ぼくは、その程度の行動エネルギーすら湧かせられない募金箱のほうに問題があると考えます。
助けてもらうことは、そんな簡単なことじゃない。
不幸だから無条件で助けてもらえると考えるのは勝手だけど、赤子も泣かねばミルクをもらえない、みたいなことです。
そんな、コンビニのレジに募金箱を置いただけでお金が集まると思うなよ、と。
だから、ぼくは、募金「しない」自分をネガティブに思う気持ちは全然ないです。
心動かされればするし。
心動かされないからしないので、「見殺しにした」と心が動くことはない。
同様に、「募金する」という行為も突き詰めれば自己満足であると思うので、自分が募金するという行為を特別素晴らしいとも思わないです。

といった感じで、「しない」「できない」にまつわる感情面では全然違うかも知れませんけど、『本気で「したい」んだけど「できない」んだ』というのは「勘違い」だよねというところは、上記エントリーに同意です。
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by kude104 | 2007-04-17 23:59