宮崎駿の切なさ
2007年 03月 28日
昨日放送のNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀 スペシャル ~宮崎 駿~」を観ました。
上手く言語化できないのですが、なんだかとても切ない映像だったなぁと思います。
何よりもまず感じたことは、宮崎さんの孤独さです。
孤高という表現が適切でしょうか。
あの人の映画作りは、何者をも寄せ付けないという印象です。
そりゃ、あの人の下で人が育たないのも頷ける、という気がした。
まずもって、才能において突出していて、彼ひとり一歩も二歩も先んじている。
隣に並んで歩いている人はいないでしょう。
それでいて、創作に対する合格ラインがめちゃくちゃ高い。
宮崎さん自身にも超えられるかどうか、というところに合格ラインを設けているように思う。
加えて、彼の映画作りは、自らの中にあるものを形にするというものだから、どうしたって孤独です。
みんなでアイデアを出し合いながら作っていく、というやり方ではないから。
よって、誰も彼の映画作りを助けることができない。
孤独に苦悩し、まさに身を削るように映画を作っている宮崎さんの姿を見ていると、この人の映画が人々の心を動かすのも当然だと思えてきます。
あそこまで身を削って作られる映画も、そうそうないんじゃないだろうか。
ホントもう、観ていて切なくなるくらいでした。
切なさのふたつ目は、息子の宮崎吾朗さんの監督作品である「ゲド戦記」の試写を観る宮崎さんの姿です。
あれはなんと表現すればいいのだろう。
やはり「苦悩」だろうか。
それとも「後悔」だろうか。
試写の途中でたまらず試写室を抜け出して、茫然と煙草を燻らせる姿は、痛々しくすらあった。
「気持ちで映画を作っちゃいけない」とか、ぽつりと呟くんですよ。
次回の宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」の製作のコメントとして宮崎さんは、息子が映画監督をやったのは自分への反抗であるとして、「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」という反省の気持ちも込めて・・・みたいなことを仰っているとか。
こういうことを公の場で言っちゃうことが息子にどう映るかといったあたり、まるで考えが至っていないというか、「ああ、このひとは骨の髄まで映画監督で、きっと他の部分は欠落しているんだろうなぁ」と思わせるあたりが切ないです。
それでもやはり、息子が「ゲド戦記」という映画を作って自分に反抗しようとしたというところにショックを受けるあたりは、父親としての感情なんだろうなぁと思う。
それに対する対応の仕方が「映画を作る」なのは、親として間違ってますけどね。
たぶん、「映画とはこういうものだ。おまえのは映画じゃない!」みたいな、息子が容易に到達できないものを作って崖から突き落とすようなことを平気でしちゃう人なんでしょうねぇ。
それもきっと、良かれと思って。
切ないばかりではなく、宮崎アニメの創造の秘密みたいなものも垣間見られて、非常に興味深い内容でした。
おかげで、次回作「崖の上のポニョ」が、いやがおうにも楽しみになりました。
上手く言語化できないのですが、なんだかとても切ない映像だったなぁと思います。
何よりもまず感じたことは、宮崎さんの孤独さです。
孤高という表現が適切でしょうか。
あの人の映画作りは、何者をも寄せ付けないという印象です。
そりゃ、あの人の下で人が育たないのも頷ける、という気がした。
まずもって、才能において突出していて、彼ひとり一歩も二歩も先んじている。
隣に並んで歩いている人はいないでしょう。
それでいて、創作に対する合格ラインがめちゃくちゃ高い。
宮崎さん自身にも超えられるかどうか、というところに合格ラインを設けているように思う。
加えて、彼の映画作りは、自らの中にあるものを形にするというものだから、どうしたって孤独です。
みんなでアイデアを出し合いながら作っていく、というやり方ではないから。
よって、誰も彼の映画作りを助けることができない。
孤独に苦悩し、まさに身を削るように映画を作っている宮崎さんの姿を見ていると、この人の映画が人々の心を動かすのも当然だと思えてきます。
あそこまで身を削って作られる映画も、そうそうないんじゃないだろうか。
ホントもう、観ていて切なくなるくらいでした。
切なさのふたつ目は、息子の宮崎吾朗さんの監督作品である「ゲド戦記」の試写を観る宮崎さんの姿です。
あれはなんと表現すればいいのだろう。
やはり「苦悩」だろうか。
それとも「後悔」だろうか。
試写の途中でたまらず試写室を抜け出して、茫然と煙草を燻らせる姿は、痛々しくすらあった。
「気持ちで映画を作っちゃいけない」とか、ぽつりと呟くんですよ。
次回の宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」の製作のコメントとして宮崎さんは、息子が映画監督をやったのは自分への反抗であるとして、「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」という反省の気持ちも込めて・・・みたいなことを仰っているとか。
こういうことを公の場で言っちゃうことが息子にどう映るかといったあたり、まるで考えが至っていないというか、「ああ、このひとは骨の髄まで映画監督で、きっと他の部分は欠落しているんだろうなぁ」と思わせるあたりが切ないです。
それでもやはり、息子が「ゲド戦記」という映画を作って自分に反抗しようとしたというところにショックを受けるあたりは、父親としての感情なんだろうなぁと思う。
それに対する対応の仕方が「映画を作る」なのは、親として間違ってますけどね。
たぶん、「映画とはこういうものだ。おまえのは映画じゃない!」みたいな、息子が容易に到達できないものを作って崖から突き落とすようなことを平気でしちゃう人なんでしょうねぇ。
それもきっと、良かれと思って。
切ないばかりではなく、宮崎アニメの創造の秘密みたいなものも垣間見られて、非常に興味深い内容でした。
おかげで、次回作「崖の上のポニョ」が、いやがおうにも楽しみになりました。
by kude104
| 2007-03-28 23:59
| テレビ