世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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「批判する」ということ

もしもそうならやな時代だなあ、と。

一口に批判といってもピンキリなので、それをひとまとめにして語るのはいいとしても他人と議論するのはたぶん噛み合わないだけだろうという気がする。
というわけで、ここに書くのは「ぼくの批判考」ということでひとつよろしく。

まず、「批判にも有益なものがあって」といったあたりの話。
とりあえずここでは、有益性の高いものを「批評」、低いものを「批難」とでもしよう。

批評に耳をふさぐのはもったいないと思うけど、批難にいちいち耳を傾けていても消耗するだけだと思う。
欲を言えば、批難はすべてカットして批評だけちょうだいということになるのだけれど、特に不特定多数の言説の中から批評だけをすくい上げる有効で効率的な手段は今のところないように思う。

膨大な石の中から珠を探し出すだけのコストを捻出できない、あるいは、捻出できるコストに釣り合うだけの珠が期待できないなら、とりあえず「批判は一切受け付けません」といするスタンスは、それはそれで理にかなっていると思う。
自分にとって信頼できる批評家が数人いれば、あとは有象無象の批判は特に必要ないんじゃないかなぁ。
わざわざコストを費やしてまで・・・という意味で。
たとえるなら、ネット検索をするときに、毎回毎回すべての検索エンジンで検索して有効な検索結果を逃さないように神経を使っている人がどれだけいるだろうか、みたいな。
完璧じゃなくても、それなりに満足できる情報が得られれば、たいてい事足りるよね。

それはそれとして。

上記のエントリーに、『ひとが忙しい毎日の中で、わざわざ時間を割いてサブカルチャーに接するときには、意識的にしろ無意識的にしろ何がしか今の自分からの「変化」を求めているのじゃなかったのかしら』と書かれていますが、たぶんここのところの感覚が噛み合わないんだろうなぁという印象を持ちました。
多くの人はたぶん「成長」を求めてサブカルチャーに接しているのではなく、単に「楽しいから」というだけのことではないかな。

サブカルチャーの楽しみ方は人それぞれでいいと思う。
サブカルチャーを批判する行為も含めて楽しい人がいていいと思うし、そうでない人がいてもいいと思う。
後者が前者を「そんな楽しみ方はやめれ」というのは余計なお世話だし、前者が後者を「批判も楽しめ」と強要するのも違うだろう。
両者が棲み分けられている分には平和でいいけど、問題は両者の文化が接触するところですね。
このあたりは、「強いて相手を無視する」というリテラシーが求められるのかも知れない。

ただ、傾向として、批判をする側に多少なりとも「善意の押し売り」みたいなニオイを漂わせる人がいるのは気になる。
「わざわざアドバイスしてやっているのに無視されて腹立つ」みたいな人は、迷惑だな。
頼まれないアドバイスというのは、たとえ有益でも、往々にして迷惑がられますんでそこんとこ気を付けるといいんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2007-03-22 19:03