世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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事実関係が明らかでない状況では、いじめがあったともなかったとも言ってはならない

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 会見迷走、いじめの有無で二転三転…岐阜・中2自殺

「自殺につながるようないじめはなかった」って、現に、いじめを理由に挙げて自殺しとるからね。
客観的に見てどうかはともかく、当人にとっては、自殺につながるようないじめはあったんでしょう。
たしかに、その主張がウソかホントかモウソウかは分からない。
でも、「なかった」と言いきっちゃうのは、自殺した生徒に対して「あなたは嘘をついている」「あなたは被害妄想が激しい」と言っているのと同じでしょう。
余程の確信があるならともかく、人のこの世で最後の言葉を、軽々しく否定してよいものでは無かろうて。

むろん、客観的に見て本当に「自殺につながるようないじめはなかった」のなら、いじめていたとされる生徒は濡れ衣ってことになるから、その子のためにもきちんと「なかった」と言うべきでしょう。
なんでもかんでも自殺した側の主張を鵜呑みにしろと言うのではない。

要するに、事実関係が明らかでない状況では、あったともなかったとも言ってはならないのです。
二転三転するなんてのは、サイアクです。

事実関係が明らかでない段階での学校側のコメントとしては、「いじめがあったのか無かったのか、あったとすればどのようなものだったのか。それはこれからきちんと調査します。いずれにしても、自分はいじめられていたと感じていた○○さんの苦悩に、適切な対応ができなくて申し訳ありません。二度とこのようなことが起こらないよう、教師一同生徒全員で、何が出来るか考えて行きたいと思います」といったあたりが妥当ではないかと思います。
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by kude104 | 2006-10-30 23:01