世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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いじめをなくすために

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 福岡、中2自殺 変わらぬ隠蔽体質 心の痛み共感できない学校

担任によるイジメのケースはともかくとして、学校がイジメを隠蔽しようとする理由のひとつに、世間があまりにも学校に責任を追わせすぎるというのがあるのではないか。

たしかに、学校は自殺した生徒を救えなかった。
でも、保護者も救えなかった。
同級生も救えなかった。
地域も世間もテレビも漫画も小説も、誰も救えなかった。

「子供と心のキャッチボールができず、心の痛みを共感できない教師の存在が原因だ」なんて言われても、教師にしてみれば、「だったらお前がやってみろ」って気分じゃないでしょうかね。
親にも救えなかったものを教師に救えというのは、やっぱり酷な話だと思う。

現場を詳しく知るわけじゃないけど、学校の先生って忙しそうだもん。
普通に授業の用意やら事務仕事といった日常業務だけで、手一杯なのではないだろうか。
時間と余裕がたっぷりあれば目も届くかもしれないけど、仕事に追われるような状況で、見えない所で行われいるイジメの兆候を察知して、しかも過たず適切な対応をとれというのは、さすがに要求レベルが高すぎる。

だから、一番いいのは、クラス担任と授業担任とを分けることじゃないかと思う。
「数学教師」とか「体育教師」とか、そういうふうに専門化する感覚で、「クラス担任」専門の教師を作るべきだろう。

子供に数学を教えるためには、教師がきちんと数学を学び、数学を教える専門家でなければならないように、子供に人間としての大切なことを教えるためには、教師がきちんとそれを学び、それを教える専門家でなければならないはずだ。
なのにどうだ。
現状は、数学教師に片手間に体育を教えさせているようなものではないか。
それで、「体育のことをきちんと教えられる数学教師が必要だ」と言っているようなものではないだろうか。

生徒がイジメを苦に自殺しましたなんて事件が起こったとき、もっとも大切なことは、二度と同じことが繰り返されないようにすることだ。
そのために原因の究明があって、その結果としての責任の追求が行われるべきだ。
なのにニュースを見ていると、学校が悪い教師が悪いという声しか聞こえてこない気がする。

まず誰が悪いか決めましょう、と。
これはもう「学校が悪い」ということに、初めから決まっているようなものだ。
で、学校側が「これからはもっと子供たちと心のキャッチボールをしていきたい」と決意を表明して、なんか一軒落着な気分になって終わりです。

それで再発防止が出来るものか。
具体的な解決策が無いのに解決を約束するから、隠蔽しなきゃならなくなる。

「誰が悪い」で考えるのではなくて、学校も保護者も子供たちも、みんな「なにが出来ただろうか」と反省し、二度と繰り返さないためにこれから具体的に何が出来るだろうと考えることが大切だと思う。
三者が協力し合うことなくして、問題の解決はない。

今こうしてマスコミが注目しているこのときに、事件のあった学校・保護者・子供たちが一致団結して「クラス担任の専門化を」という提案を掲げて署名活動でも始めれば、運動としてかなりの効果が期待できるように思う。
上手くすれば何かを変えられるかもしれないし、少なくとも問題提起にはなるだろう。
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by kude104 | 2006-10-17 23:59 | 時事・社会