世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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靖国問題を考える

昨日の深夜に再放送された『NHKスペシャル 靖国問題を考える』を観て。

靖国賛成派と言うのだろうか擁護派と言うのだろうか、つまり、靖国神社にA級戦犯を祭ることを良しとする人たちが東京裁判の不当性を主張するのが、実に興味深いなぁと思って見ていました。

東京裁判が戦勝国による一方的な裁判で、およそまっとうな裁判ではなかったというのは、その通りだろうと思います。
あれは無効な裁判で、ゆえに“A級戦犯”なんてものは存在しないんだという主張には一理ある。
現に、というか、A級戦犯として死刑に処せられた方々も、国内法上は「公務死」扱いだしね。
犯罪者じゃない。

なのに死刑に処せられてしまった彼らは犠牲者なんだ、靖国神社に祭られて然るべきであるという主張は、それはそれで筋が通っているなぁと思います。

ただ、ぼく個人としては、「敗戦」は明らかに国策の誤りであると考えます。
戦争の大義とか当時の情勢とか戦争は相手にも責任があるとか、そいういう話ではなく、「負け戦」は国として絶対にやっちゃダメなんですよね。
なのにやってしまった以上、その責任は誰かが負わなければならない。

では、誰が追うべきかというと、当然、上の人間でしょう。
政治のミスは政府が、軍事のミスは軍部のトップが、それぞれ負うべきであると考えます。
失敗の責任を負わない指導者なんて、指導者たる資格がないじゃないですか。

で、問題は、誰がどれだけの責任を負うべきかという、その判断です。

東京裁判は不当だったとぼくも思っているんですが、それは、「誰が」という責任の所在と、「どれだけの」という罰の軽重の判断が納得できないというもので、けっして、「みんな等しく被害者だ」なんてことは思いません。

東京裁判が有効だろうと無効だろうと、それはそれとして。
日本として、「敗戦の責任は誰々だよね」という判断はきちんと付けなければならないのではないか、とぼくは思うのです。
この作業を「東京裁判」で済ませてしまったその手抜きが、未だにA級戦犯がどうのこうのという議論に終始している原因なのではないでしょうか。

靖国問題を議論する際に、「A級戦犯」という言葉を使わざるを得ない現状が、問題をややこしくしているように感じました。
東京裁判じゃない、正当な“裁判”によって(これはなにも本当の裁判という意味ではなくて、歴史認識として)“戦争責任者”をきちんと規定すれば、靖国問題は「戦争責任者を参拝することの是非」にまで議論が進むじゃないですか。

そこまで議論が進めば、戦争責任者を国として公的に参拝するようなことは、やっぱり問題あるよなと思うし、靖国神社が戦争責任者を祭るのであれば、公的な靖国参拝は問題だなと、ぼくなんかは思いますけどね。

A級戦犯という言葉で議論する限りは、東京裁判は無効だという主張に一理あるので、水掛け論になって先に進まないですね。
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by kude104 | 2005-08-18 23:59 | テレビ