京極夏彦はすごい
2005年 07月 13日
今日のNHK『スタジオパークからこんにちは』のゲストは、小説家の京極夏彦さんでした。
京極さんの小説は好きなんで、思わず「おおっ」と食い付いて観てしまいました。
京極さんをテレビで拝見したのは初めてなんですが、案の定というか、ちょっと変わった方でしたね。
「エキセントリックな」という意味ではなくて、天才気質というか。
普通の人間とは、やっぱりどこか違う。
おそらくそのせいでしょう。
司会の方々とのトークが微妙に噛み合っていなかったです。
なんというか、「普通ならこのへんに着地するよね」という“お約束”的な着地点から、半歩ずれる感じ。
普通なら「そうですね」と同意して終わるようなところでも、普通じゃないから「そうですね」では終わらない。
そのせいで、司会者の進行のリズムが、ちょっとずれてしまう。
これがもし、京極さんと同じ知的レベルの司会者だったら、スムーズにトークが進行しているはずで、そういう意味では司会者のレベルが低いってことになるわけですが、でも、ぼくを含めほとんどの人は司会者と同じレベルでしょうから。
これは京極さんが高いんです。
だって、小学校のおそらくは低学年くらいで、辞書を片手に柳田國男の民俗学の本を読んでいたとか。
デビュー作である『姑獲鳥の夏』を、仕事の合間の暇つぶしで書いたとか。
(考えてみれば、あれがデビュー作ってのも恐ろしいよね)
他にも、京極さんの執筆中の様子を映した映像があったんですが、原稿を書いているPCの横にテレビがあって、普通にテレビ番組が映っている。
司会者が「ながら執筆ですね~」と軽くコメントしたのに対して、「ながら?・・・まぁ、“ながら”になるんですかねぇ」というリアクション。
あれはゼッタイ、原稿を書く作業とテレビを観る作業を、同時にこなしている人のリアクションだよ。
恐ろしい。
そんな“ながら”作業で、あんな小説書いちまうのかよ。
あと、「仕事の息抜きは何ですか?」という質問に対しても、「息抜きなんてしないよ」というふうなリアクション。
多少、誇張されたエピソード群なのかもしれませんが、話半分としても本物だ。
普通の人よりずば抜けて集中力が高いとでも形容すればいいのか、とにかく何かが「並み」じゃないですよね。
うーむ、すげい。
ああいう人がああいう小説を書くのかと、妙に納得できた気がします。
京極さんの小説は好きなんで、思わず「おおっ」と食い付いて観てしまいました。
京極さんをテレビで拝見したのは初めてなんですが、案の定というか、ちょっと変わった方でしたね。
「エキセントリックな」という意味ではなくて、天才気質というか。
普通の人間とは、やっぱりどこか違う。
おそらくそのせいでしょう。
司会の方々とのトークが微妙に噛み合っていなかったです。
なんというか、「普通ならこのへんに着地するよね」という“お約束”的な着地点から、半歩ずれる感じ。
普通なら「そうですね」と同意して終わるようなところでも、普通じゃないから「そうですね」では終わらない。
そのせいで、司会者の進行のリズムが、ちょっとずれてしまう。
これがもし、京極さんと同じ知的レベルの司会者だったら、スムーズにトークが進行しているはずで、そういう意味では司会者のレベルが低いってことになるわけですが、でも、ぼくを含めほとんどの人は司会者と同じレベルでしょうから。
これは京極さんが高いんです。
だって、小学校のおそらくは低学年くらいで、辞書を片手に柳田國男の民俗学の本を読んでいたとか。
デビュー作である『姑獲鳥の夏』を、仕事の合間の暇つぶしで書いたとか。
(考えてみれば、あれがデビュー作ってのも恐ろしいよね)
他にも、京極さんの執筆中の様子を映した映像があったんですが、原稿を書いているPCの横にテレビがあって、普通にテレビ番組が映っている。
司会者が「ながら執筆ですね~」と軽くコメントしたのに対して、「ながら?・・・まぁ、“ながら”になるんですかねぇ」というリアクション。
あれはゼッタイ、原稿を書く作業とテレビを観る作業を、同時にこなしている人のリアクションだよ。
恐ろしい。
そんな“ながら”作業で、あんな小説書いちまうのかよ。
あと、「仕事の息抜きは何ですか?」という質問に対しても、「息抜きなんてしないよ」というふうなリアクション。
多少、誇張されたエピソード群なのかもしれませんが、話半分としても本物だ。
普通の人よりずば抜けて集中力が高いとでも形容すればいいのか、とにかく何かが「並み」じゃないですよね。
うーむ、すげい。
ああいう人がああいう小説を書くのかと、妙に納得できた気がします。
by kude104
| 2005-07-13 23:10
| テレビ