世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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PCに保存された脳は電気羊の夢を見るか?

2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存(livedoorニュース)

『2050年、テクノロジーの発達により、人間の脳の持つ全情報をコンピューターにダウンロードすることが可能になり、肉体は滅びても人間の意識は永遠に残る』

「自分が死んでも、自分とまったく同じクローンが生き続けるなら、自分という存在は生き続ける」みたいな話って、たとえ現実になっても、それは不死なのか?という違和感を感じます。

ぼくが死んだなら、ぼくの人生はそれまで。
クローンがいくらあとを引き継いでくれたとしても、それはクローンの人生であってぼくの人生ではないように感じます。

ぼくは、『ぼく自身』が死にたくないんですよね。
ですから、むしろ「新しい肉体に脳を移し替えて寿命を延ばす」といった話のほうが、不死のイメージに近い。

と考えたところで、ふと疑問が沸いてきます。
ぼくの身体から脳を取り出し、別の身体へと移し替える。
これは肉体という『器』が変わっただけで、精神という『中身』──つまり、ぼくという存在──は変わっていない。
感覚的に、そういうイメージがあります。

でも、考えてみれば、脳という器官だって肉体の一部で、精神を入れる『器』ですよね。
ぼくをぼくたらしめているのは、突き詰めれば、脳の中の電気信号・・・なわけですよね?

だとすると、その電気信号をそっくりそのままPC上に再現したとき──言い方を変えると、『器』としての脳という器官をPCに置き換え、そこに『中身』である精神を注いだとき──ぼくという存在はどうなるのだ?

PCに移したときに、元もとの脳にあった精神が消滅するのであれば、すなわち、ぼくという存在の一意性が保たれるのであれば、『器』が変わっただけという感覚で捉えられる。
でも、これがコピーになるとすると、どうなるんだろう?

PC内のぼくと、脳内のぼく。
2人のぼくが存在することになるのか。
脳内のぼくは、自分という存在に特に変化はない。
一方、PC内のぼくは『器』が変わっただけという認識でしょう。

で、PC内のぼくは、これで不死の肉体を手に入れるわけですよね。
PC内のぼくにとっては、クローンの人生ではない、まぎれもなく自分の人生ってわけだ。

うーん、考えるとなんとも奇妙な感じです。
感覚として、しっくり来ないなぁ。

あるいは、物理的に2つに別れても、なにかしら超自然的なところで、1つの精神としてつながるのでしょうか?
それとも、精神は肉体に宿り、不可分なのでしょうか?

わかりませんが、ま、それはそれとして。

『感情を持ったコンピューターの応用例として、航空機制御プログラムへの導入を提唱。「墜落を前にしたコンピューター制御プログラムは恐怖を覚え、何としてでも墜落を回避しようと全力を挙げるだろう」と語った』

と言いますが、そのコンピュータがものすごいドジっ娘だったらどーします?
萌え~とか言ってる場合じゃないですよね。
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by kude104 | 2005-05-25 20:56 | PC&ネット