世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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恋愛至上主義の究極系は二次元萌え

ゾゾコラム『「恋愛資本主義」へ、ようこそ』
たまたま流れついたブログのエントリーですが、なかなかに考えさせられる面白い内容です。

『恋愛が死にかけている』といった内容に、希望格差社会やニートといった問題がオーバーラップするのはぼくだけでしょうか。
どうも、すべてが同じ流れの上にあるように思えてなりません。

人類の精神史をひも解けば、人類はおそらく『自我の肥大化』の方向に進んでいることでしょう。
『恋愛』の崩壊やニートの問題などは、その流れの上で起こるべくしておきた、言わば最先端の事象なのではないかという気がします。

それはそれとして。
『恋愛』について言えば、ぼくらがイメージする恋愛の形って、50%が本能的な衝動から来るものとしても、残りの50%はメディアによって形作られたものである・・・とぼくは思っている。
多くの人は自分の実体験よりも先に、TVドラマや映画や小説で『理想の恋愛』を体験し、それによってベースとなる恋愛観をすり込まれます。

多くの人が思い浮かべる恋愛の形とは、いつかどこかで見たドラマの恋愛だし、多くの人が行う恋愛は、いつかどこかで見たドラマの恋愛の再現です。
そうしてメディアによって作られた『恋愛』を理想の形として現実に求めていくと、失望するのは当然だよなぁと思うわけです。

『三次元に失望し、二次元に理想の恋愛を求める』というのも、『メディアによって作られた恋愛』を考えれば、非常に理に適った行為であると言えるでしょう。
ドラマのような恋愛をしたければ、ドラマの中に入り込めばいいという、まさに真理です。

本来なら、理想の恋愛が三次元になければ、「恋愛しない」という選択肢になるはず。
でも、それじゃ嫌なんでしょうね。
どうにかして恋愛したい、でも出来ない。
じゃあ、逃避するしかないですねって話になるわけだ。

どうして「恋愛しない」という選択肢は選ばれないのか?
それこそまさに、メディアが「恋愛って素晴らしい」と喧伝する副作用じゃないかと思うのです。
いわゆる『恋愛至上主義』。
自分の人生において、恋愛の重要度がずば抜けて高い価値観を持つ人々。

人々がなぜこれほど恋愛に魅せられるのかといえば、おそらく、『自分がドラマの主人公になれるから』じゃないかと思うのです。
本能的な幸福感を抜きにすれば、ね。

どんなに地味でダメな、いわゆる『人生の脇役』でも、「そんな君が好き」という相手さえ現れれば、その瞬間から恋愛ドラマの主人公になれる。
退屈な日常から、一瞬にして脱出です。

しかも恋愛というのは、仕事やその他諸々に比べて、わりと努力が報われやすい。
合コンなどで出会う機会を増やせば増やすほど恋愛のチャンスは増えるとか、モテるメイクはこうだ、モテるファッションはああだ、モテる性格はどうだみたいなマニュアルがあって、そのとおりに努力すればそれなりに報われることが多い。

だから多くの人にとって、恋愛は一番身近でドラマチックなイベントになり得る。
なり得るからこそ、メディアはああも繰り返し繰り返し「恋愛って素晴らしい」と喧伝するわけです。

それはいい。
でもその結果、自分の人生を彩るファクターが恋愛しかなくなると、その先はけっこうツライ人生の始まりなんじゃないかなぁ。
現にほら、二次元にまで行かざるを得なくなってるじゃないか、と。

『恋愛至上主義』の定義が違うのかもしれないけど、「二次元への逃避」は立派な恋愛至上主義の究極系なんじゃないかなぁ。
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by kude104 | 2005-05-20 23:59