精子に感動した夜
2005年 04月 24日
深夜。
寝る前にしばらくダラダラとテレビを見るのがぼくの日課なんですが、昨夜、そうしてザッピングしていた番組のひとつに思わず見入ってしまいました。
よくは分からないのですが、なんか、男女の性について取り上げた番組でした。
深夜の民放だったから、最初はエロ番組かと思ったんですが、これが「おまえはNHKか?」というくらい真面目な内容でして。
そこで、精子が卵子と受精するための長い道のりのドラマを観ていると、なんだかもう精子が可哀想で可哀想で、不覚にも胸が熱くなる思いでした。
たしかにぼくは死に逝く者にシンパシーを感じる傾向にありますが、でもまさか、精子にシンパシーを感じるとは思わなかったなぁ。
だけど。
だって、射精された段階では3億匹いる精子がですよ。
第一の関門では酸に殺られて300万匹になり、第二の関門では白血球に食べられて300匹になりと、ものすごい淘汰されていくわけですよ。
3億匹が300匹か・・・と、そのあまりの生存率に眩暈を感じます。
この時点でも、生き残った300匹は十分賞賛に値する。
ぼくの中では、もう立派な勇者ですよ。
よく頑張った、よくぞ生き残ったと。
そう思っていたら、その次の関門はあろうことか、「右か左か」の二択だって言うじゃありませんか。
ここに来て「運だめし」はあまりに残酷!
必死に生き残ってきた150匹の勇者の頑張りが、「運がなかったね」で無に帰すとはあまりにもあまりです。
そうして、卵子にまで辿り付けるのはたった100匹。
受精できるのは、その中のわずか1匹です。
思えば、3億分の1を争うなんたる苛酷なレースか。
最後の関門である卵子に張られたバリアを一番に突破した精子が勝利です。
1匹が辿りついたら、卵子は再びバリアを張って、他の精子をシャットアウトします。
つまり、残る99匹はそこで死ぬんですよね。
だったら当然、早い者勝ちだと思うじゃないですか。
ところが!
ここに来て、生き残った100匹は協力してバリアを破るんですって。
そうして、たった1匹の精子を送り込む。
なんだこれ・・・?
「努力、友情、勝利」って、ジャンプか?
そこはジャンプワールドなのか?
これには誰だって胸が熱くなるって。
初めは寝転がって観ていたぼくも、最後は正座ですよ。
死んでいった精子たちに敬礼ですよ。
そして、分かってしまった。
やれ個性だ特別だ、人は誰でも等しく価値があるだなんてことを言うけれど、生命のルールは本来そんな生易しいものじゃない。
次代に種を残せるのは、ほんの一握りの選ばれた者だけ。
あとの大多数は、ただただ無駄に死んでいく存在なんだと。
ぼくら人間も、次代に名を残すような価値のある人間はほんの一握りで、あとの大多数はただ生きて死ぬだけの存在なんだろうと思います。
でも、死んでいった2億9999万9999匹の精子は無駄死にだけど、なんつーか、立派だよね。
効率よく優れた精子1匹だけ作って、それで受精できれば理想的なんだろうけど、世界はそこまで完璧にはなれない。
凡人の死屍累々を重ねずには成り立たないものなんだろうと思います。
だとしても、というか。
だからこそ、というか。
無駄に死ぬべき凡人が、懸命にゴールに向かう姿は崇高で切なくて愛しい。
死に際の言葉は、きっと「俺の屍を越えて行け!」に違いない。
そんな姿を見せられたら、たとえそれが精子でも、抱きしめたくなるよね。
・・・え? ならない?
まぁ、たしかに。
しょせんは精子だし。
それにしても。
精子と卵子の、この圧倒的な立場の違いってなに?
1個の卵子を目指して3億個の精子が競争する。
卵子はあの手この手で精子の能力を測り、ふるいにかけ、満身創痍で辿りついた精子にひとこと、「よくぞ辿りつきました。ご褒美に受精させてあげましょう」みたいな?
まるで、女王様と奴隷のような。
女は選ぶほう。
男は選ばれるほう。
そんな力関係を初めから背負わされているんだもん。
そりゃあ、男はどうしたって女に敵わないよなぁと思ってしまいます。
寝る前にしばらくダラダラとテレビを見るのがぼくの日課なんですが、昨夜、そうしてザッピングしていた番組のひとつに思わず見入ってしまいました。
よくは分からないのですが、なんか、男女の性について取り上げた番組でした。
深夜の民放だったから、最初はエロ番組かと思ったんですが、これが「おまえはNHKか?」というくらい真面目な内容でして。
そこで、精子が卵子と受精するための長い道のりのドラマを観ていると、なんだかもう精子が可哀想で可哀想で、不覚にも胸が熱くなる思いでした。
たしかにぼくは死に逝く者にシンパシーを感じる傾向にありますが、でもまさか、精子にシンパシーを感じるとは思わなかったなぁ。
だけど。
だって、射精された段階では3億匹いる精子がですよ。
第一の関門では酸に殺られて300万匹になり、第二の関門では白血球に食べられて300匹になりと、ものすごい淘汰されていくわけですよ。
3億匹が300匹か・・・と、そのあまりの生存率に眩暈を感じます。
この時点でも、生き残った300匹は十分賞賛に値する。
ぼくの中では、もう立派な勇者ですよ。
よく頑張った、よくぞ生き残ったと。
そう思っていたら、その次の関門はあろうことか、「右か左か」の二択だって言うじゃありませんか。
ここに来て「運だめし」はあまりに残酷!
必死に生き残ってきた150匹の勇者の頑張りが、「運がなかったね」で無に帰すとはあまりにもあまりです。
そうして、卵子にまで辿り付けるのはたった100匹。
受精できるのは、その中のわずか1匹です。
思えば、3億分の1を争うなんたる苛酷なレースか。
最後の関門である卵子に張られたバリアを一番に突破した精子が勝利です。
1匹が辿りついたら、卵子は再びバリアを張って、他の精子をシャットアウトします。
つまり、残る99匹はそこで死ぬんですよね。
だったら当然、早い者勝ちだと思うじゃないですか。
ところが!
ここに来て、生き残った100匹は協力してバリアを破るんですって。
そうして、たった1匹の精子を送り込む。
なんだこれ・・・?
「努力、友情、勝利」って、ジャンプか?
そこはジャンプワールドなのか?
これには誰だって胸が熱くなるって。
初めは寝転がって観ていたぼくも、最後は正座ですよ。
死んでいった精子たちに敬礼ですよ。
そして、分かってしまった。
やれ個性だ特別だ、人は誰でも等しく価値があるだなんてことを言うけれど、生命のルールは本来そんな生易しいものじゃない。
次代に種を残せるのは、ほんの一握りの選ばれた者だけ。
あとの大多数は、ただただ無駄に死んでいく存在なんだと。
ぼくら人間も、次代に名を残すような価値のある人間はほんの一握りで、あとの大多数はただ生きて死ぬだけの存在なんだろうと思います。
でも、死んでいった2億9999万9999匹の精子は無駄死にだけど、なんつーか、立派だよね。
効率よく優れた精子1匹だけ作って、それで受精できれば理想的なんだろうけど、世界はそこまで完璧にはなれない。
凡人の死屍累々を重ねずには成り立たないものなんだろうと思います。
だとしても、というか。
だからこそ、というか。
無駄に死ぬべき凡人が、懸命にゴールに向かう姿は崇高で切なくて愛しい。
死に際の言葉は、きっと「俺の屍を越えて行け!」に違いない。
そんな姿を見せられたら、たとえそれが精子でも、抱きしめたくなるよね。
・・・え? ならない?
まぁ、たしかに。
しょせんは精子だし。
それにしても。
精子と卵子の、この圧倒的な立場の違いってなに?
1個の卵子を目指して3億個の精子が競争する。
卵子はあの手この手で精子の能力を測り、ふるいにかけ、満身創痍で辿りついた精子にひとこと、「よくぞ辿りつきました。ご褒美に受精させてあげましょう」みたいな?
まるで、女王様と奴隷のような。
女は選ぶほう。
男は選ばれるほう。
そんな力関係を初めから背負わされているんだもん。
そりゃあ、男はどうしたって女に敵わないよなぁと思ってしまいます。
by kude104
| 2005-04-24 19:11
| テレビ