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世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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六曜に人権持ち出す野暮がいる

六曜記載、人権配慮欠く 大津市が手帳全面回収(Yahoo!ニュース:共同通信)

うちの母親も、やたらと「大安」だの「仏滅」だのを持ち出してくるので辟易することも多々あるんですが、それにしたって、言うに事欠いて「人権」と来たか。

「結婚式は大安吉日に」といった迷信や因習で生活を縛ることは差別など人権侵害につながる・・・って、こういうひとたちの思考回路ってどうなっているんでしょうね。
ことの軽重を間違っているというか、針小棒大に過ぎるというか。

「六曜」ごときにケチ付けるんなら、坊主へのお布施を何とかしてくれ。
いや、そんなことよりも、バレンタインデーとかクリスマスを何とかしてくれ。
モテない男に人権を、ギブミーチョコレート。

迷信だ因習だなんて話を持ち出せば、ことは「六曜」だけで収まらんのではないかと思うわけですが、結局、「政教分離」的な不快感で文句つけてるだけなんでしょう?
そういうのに「人権」を持ち出すところが、イヤらしくて嫌いなんだよね。

そもそも、「六曜」を占いと考えるから、引っ掛かるんですよ。
何月何日が「大安」で「仏滅」かというのは、計算式で自動的に決定されます。
それこそ、「今日は日曜日か」というのと同じようなもんです。

旧暦にするとこの法則性が一目瞭然なんで、昔はちっとも人気が無かったそうです。
「六曜」が有り難がられるようになったのは、明治の新暦採用後のこと。

この改暦の際に、「吉凶付きの暦注は迷信だ」として、それまで人気のあった「暦注」は禁止され、力を失ってしまいました。
そのとき、代わって台頭したのが「六曜」です。

もともと日にちを区別する程度の存在だったので、「占いじゃないよ」という建て前で「暦注」として使われるようになり、新暦となったことで法則性が分かり難くなったことが神秘性をもたらし、新たな「吉凶付きの暦注」となって流行したという経緯のようです。

ですから、「大安は縁起がいい」というのは「日曜日は縁起がいい」というのと同じで、「気の持ちよう」に過ぎません。
真剣に「非科学的」と非難するほうが、野暮だねぇという話です。

ま、それでも「六曜」に依存する人が増え、それが社会問題となれば、「非科学的」だとして斬り捨てる必要もあるでしょうが、いまのところ別にいいんじゃないかなぁ。
それなら、「血液型性格判断」とかのほうがよっぽど有害でしょ。

「大安」だ「仏滅」だなんてものは、風習と同じくらいに思っていればいいんじゃないでしょうか。
節分に豆をまけば厄が払えるなんて本気で思っていなくても、やってスッキリすりゃ、それはそれで意味があることです。

大安に結婚して「良かった」と思う人がいれば、それでいい。
なにもざわざ仏滅に結婚して、誰かを不快な気持ちにさせることはない。
「六曜」なんて、ただそれだけのもんだと思います。
by kude104 | 2005-02-11 19:15 | 時事・社会