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世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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普通、普通というけれど、普通って何かね?

「普通の結婚」が、手に入りにくくなった理由 - 日経ビジネス Associe(アソシエ)

動物番組なんかを観ていたら、自然界においてはパートナーを得て子孫を残すということが、どれだけ過酷な競争であるかが良く分かる。
もちろん人間は動物とは違うけれど、あれを観ていると、そんな誰しも当たり前のように「普通の結婚」ができるほうがおかしいという気がしてくる。

それをやろうと思ったら、自然なカップリングではなく、強引に組み合わせないと無理だろう。
実際、かつての結婚は、そうした感じだったんじゃない?
で、それを「普通の結婚」と呼ぶかというと、違うだろう。
なら、「普通の結婚」って何かね?と。

たとえば、かつては「普通の結婚」があり、「普通の幸せ」がありました、と。
それが今は手に入り難い世の中になっています、と。
それを事実とするとして。

でも、思うに、「普通の幸せ」を手に入れるために、かつての人たちは、おそらく「普通の不幸」や「普通の苦労」や「普通の我慢」なんかを、同時に引き受けていたのだろう。
「普通の結婚」が「強引な組み合わせ」によって行われていたように。

結婚に限らずとも、たとえば上記の対談で「いまは日常生活の中にセーフティーネットがない」といったことが語られているけれど、近所付き合いはしない、親戚付き合いも希薄、親との同居は嫌、職場の上司同僚とは会社だけでの付き合いですと。
それで、困った時にだれも助けてくれないって、当たり前だよね。

かつての「普通の幸せ」だって、なにも当たり前に享受できたわけではなく、「普通の不幸」や「普通の苦労」とワンセットになっていたはずなのだ。
それを「普通の幸せ」だけ取り出して享受したいと願う、そのこと自体は間違っていない。
社会を良くしていくということは、不幸や苦労をなくしていくということだからね。
ただ、それはもう「普通」の幸せではないよ、ということだ。

きっと、「普通」なんてどこにもなくて、自分なりの幸せを探していくしかないのだろうと思う。
そして、幸せは「平凡な日常」の中に時々あるから「幸せ」なのであって、「幸せな日常」を追い求めると不幸ばかりが増えて行くのだろうな。
by kude104 | 2009-11-28 18:36 | 時事・社会