世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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神はなぜこの世の不幸を放置するのか

【レビュー・書評】現代人はキリスト教を信じられるか―懐疑と信仰のはざまで [著]ピーター・L・バーガー - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)
とくに著者がこだわるのが、罪のない子供が苦しみ死ぬことである。なぜこのようなことが起こるのか。これは神を信ずるキリスト教徒として、どうしても受け入れることができない現実である。著者は神自身苦しんでいるという学説も紹介しながら、そして「口ごもり」、躊躇(ちゅうちょ)しながらも、信仰を捨てないのであれば最後は神への信頼に賭けるしかない、と述べる。
ぼくは「キリスト教的な神はいない」と思っているのですが、もし仮にキリスト教的な神がいるとして、ではなぜこの世の不幸を放置しているのか?という問いに対する答えは、こうじゃないかと考えます。

人間にとって、自分たちの苦しみや死というものは、ある種絶対的な「不幸」です。
でも、神様にとっての人間の苦しみや死というものは、せいぜい心を痛める程度のものでしかない、と。

これは、神様が薄情だからということではなくて、そもそも神様と人間とでは生きている次元が違うのだから、神様が人間の苦しみを本当の意味で理解できるはずがないと思うのです。

たとえば、人間にとって死が絶対的な恐怖なのは、復活がない(かもしれない)と思っているからじゃないでしょうか。
死んでも必ず復活できると100%信じているなら、死ぬことはそう怖くないと思うんですよね。
セーブしたところからやり直せるなら、人は自分の命をもっと粗末に扱うことができるに違いない。

神様にしてみれば、最終的には、死んだ人間をすべて(と言っても、自分を信仰している者に限るのでしょうけど)復活させるつもりでいるわけです。
自分自身がやることだから、必ずそうするつもりだし、必ずそうなると100%分かっている。

であるならば、神様は人の死というものを「あとで必ず復活できるからね」という視点で観ていることになるし、逆に言うと、そういう視点でしか観られない。
ゆえに、復活できないかもしれないと怯える人の気持ちというものは、頭では分かるかもしれないけれど、心ではきっと分からないに違いないと思うのです。

人の苦しみというものも、おそらく同じように観ているだろうと思います。
なにしろ、神様は永遠を生きています。
人が苦しんでいる時間など、神様にとっては、瞬きする一瞬にも満たないくらいの感覚でしょう。

「死」の場合と同じように、神様にしてみれば、最終的にはすべての人間に永遠の幸せを与えるつもりでいるわけです。
神様にとって、人が今感じている苦しみというものは、この後に訪れる永遠の幸せの前の、ほんの一瞬の「悪夢」程度にしか映らないでしょう。
夢の中でぎゃ!と殺されて目覚めたら、そこは神の王国で、以後なに不自由なく幸せに暮らしましたとさ・・・みたいな。

そう考えれば、神様がこの世の不幸を何が何でも絶対取り除く!と思わないのも頷けるよな、と。
だから、もしも神様がいるとしても、たとえ一生懸命祈ったところで、神様が「この世で」助けてくれるとは思えないですね。
まぁ、気まぐれで助けてくれることはあるかもしれないですけど。
それを当てにして生きて行くわけにはいかんだろうなぁと思います。

それでもなお信仰を持てるかどうかは、結局のところ、幸せな「来世」を神様が与えてくれると信じることができるかどうかじゃないでしょうかね。


・・・最後にちょっと私信ですが。
J君、結婚おめでとう。
この世に神の祝福があるかどうかは分かりませんが、人の祝福はあると思うので、たくさんの人に祝福されて幸せになって欲しいなぁと思います。
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by kude104 | 2009-09-06 18:53