世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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オープンなネットの限界、というか現実

「ネット失望の時代」がやってきた: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

つまり、「オープンなネットへの幻想」というものから、そろそろ醒めてきたということじゃなかろうか。
「やっぱりネットであろうと、ニンゲンを無作為に集めればヘンなのが雑じって荒れる」という、残念だけど当たり前の結果になったよね、と。

繁華街のど真ん中で、知的で生産的な議論が行えると思う人はいないだろう。
なのに、不特定多数が集まるネットで、どうしてそれができると思っちゃったんだろうね。
やっぱり、まだインターネットに接続できる人間が限られていた時代の残滓だろうか。
いまじゃ小学生でも使っているのにね。

「別け隔てなく、多くの人に見てほしい」と思うなら、受け手の「大衆化」は覚悟するしかない。
それはネットに限ったことじゃない。
テレビだって雑誌だってそうだろう。
ネットはたしかに、いわゆる「バカ、暇人、貧乏人」がテレビ局や出版社を通さずダイレクトに絡んでくるからしんどいけど、それはこちらだって、テレビ局や出版社を通さずダイレクトに発信しているんだから、合わせ鏡のようなものなのだろうと思う。

「英語圏のウェブ」というものをぼくはよく知らないのだけど、それがオープンなまま「知的ツール」として機能しているのなら、もしかしてそれは、いわゆる「バカ、暇人、貧乏人」がまだ十分ネットになだれ込んでいないからじゃないだろうか。
たとえば、パソコンやネットの接続料金が安くない社会では、ネットユーザはある程度富裕層に限られるので「大衆化」しないでいられるだろう。

あるいは、「英語圏のウェブ」では実名で活動するユーザが多いという。
そうすると、ネット上における人間関係と実社会における人間関係とが、かなりの部分で重なるのではないだろうか。
つまり、実社会で上流階級層の人間と下流の人間とが交流しないように、ネット上でも自然とそうなるのではないか・・・と。

閑話休題。
コミュニティの質を保つためには、どうしたって、参加者の質をある程度保たなければならない。
理想としては、社会全体の質が高ければ、別段何もしなくても保たれるのだろうけど、現実的にそれを期待するのはちょっと無理だろう。
となれば、コミュニティにおいて、希望する水準に満たない参加者を教育するか、排除するしかない。
言い換えれば、コミュニティの質を保つためには、参加者を教育したり排除するための仕組みがコミュニティになければならない、ということだ。
でも、オープンなネットには、そうした仕組みはない。

いまさらネットの利用に資格や実名利用を義務付けるとか、そうした法的な網をかけるのは抵抗が大きいし、個人的にも好かん。
なので、ネット全体をひとつのコミュニティと見て質を保つのは無理と諦めよう。
代わりに、ネットの中にクローズドな空間を作り、棲み分けを行うのがいいと思う。
会員制のサイトとか、もっともっと作られてもいいと思うのだけどな。

ま、会員制コミュニティの場合、どうやって参加者を集めるかという点が問題になるのだけれど。
基本的には、実社会などですでに有名な人が、ネット上に自分の私塾であるとか勉強・交流の場を作るケースが主になるだろうね。
無名なやつが会員制コミュニティを作っても、人集まらんからね。
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by kude104 | 2009-06-30 23:57 | PC&ネット