世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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「自己責任」と「救済」の話

自己責任論再考 - 狂童日報
そもそも「自分で決めたことだからしょうがない」という、世の中に広く存在する思考様式そのものが私にはよくわからない。自分が自分の人生に誇りをもつという意味ではまだわかるが、自分が選択した道で不幸になった人は救済する必要が(少なくとも相対的には)ない、という理屈になってしまうのはさっぱり理解できない。
たしかに。
「自己責任」であることとと、「救済」とは、別の話ですよね。
失敗したのは「自己責任」だと、批判するなり反省するなり、それはそれでやればいいけど、そうして失敗の総括が済んだならば、「自己責任」の話はそれでおしまいであるべきだ。

失敗したらそれでジ・エンド、社会復帰はできませんって世の中では、リスクが大きすぎてチャレンジャーが現れず、やがて社会は硬直化して衰退していくことでしょう。
そうならないためにも、チャレンジャーは奨励すべきで、ならば、失敗した者にも「その失敗を糧として、次がんばれ」と言うような世の中であるほうが望ましい。

それは別にチャレンジャーだけの話じゃなくて、普通の人でも、失敗してそのまま脱落されるよりも、復帰して再び社会の生産と消費の輪の中に戻ってきてもらったほうがいいに決まってる。
なんか、人間って無料で生産供給されるみたいに思っちゃうけど、実は、人一人を生み育て世に送るためのコストは膨大だ。
ならば、捨てるより再利用したほうがきっと経済的で合理的に違いない。

「自分が選択した道で不幸になった人は救済する必要がない」という理屈は、おそらく、コスト計算によるものだと思うのです。
つまり、救済するためにはコストが必要で、費やすコストに見合うリターンが見込めないだとか、手持ちのリソースではとてもすべての人を救えないから、救済に優先順位を付けましょう。ということで、「自業自得」なひとは後回しね、とか。

そういう考えの人は、もし救済したほうが経済的にお得になるなら、きっと、「救済する必要がない」じゃなくて、「無理やりにでも救済すべし」となるに違いないと思うのです。

また、救済のありようについても考える必要があるでしょう。
一口に「救済」と言ってもいろいろあります。
ここでぼくは救済を「復帰支援」的なイメージで考えていますが、そうではなくて、「生活保護」的なイメージで捉える人もいるでしょう。
「復帰支援」と「生活保護」とでは、内容も目的もぜんぜん違いますから、それを同じ「救済」で議論しても噛み合いませんよね。

「救済する必要がない」という人の中には、救済を「生活保護」的なイメージ----しかも、ずるがしこい怠け者に食い物にされるイメージで捉え、それゆえに「必要なし」と考える人もいるでしょう。
そうした不備のある救済や、却って対象者をダメにするような間違った救済が必要ないことは、たぶん多くの人が同意するところでしょう。

逆に言えば、「正しい救済」であれば、多くの人が賛同してくれるに違いない、と。
人々に対して、それくらいの信頼は寄せてもいいでしょう。
賛同が得られないなら、そこにはやはり何がしかの見落としや問題点があるのではないか。

「自己責任だから救済したくない」という主張がなされるとき、「自己責任だから」という主張に引っ張られがちだけど、本当に注目すべきは「救済したくない」のほうではないでしょうか。
「救済したくない」と思わせる救済案しか提示しえていないのではないか?と。

「自己責任だから救済したくない」という人に、「なるほど、これなら救済してもいいな」と思わせる救済案は作れないものでしょうか?
もし「最善の救済案」があるとしたら、それはきっとそうした期待に応えてくれるに違いないと思うのですが。
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by kude104 | 2009-06-12 23:59 | 時事・社会