やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ
2009年 06月 04日
梅田氏と「アテネの学堂」 - Tech Mom from Silicon Valley
ぼくは日本のウェブにおいても「アテネの学堂」はいずれ現れると思っています。
ただ、そのままのネット空間をポンと用意して、「はい、ここがアテネの学堂ですよー」といったところで機能しないのは当然で。
「アテネの学堂」を作りたかったら、まず、「学堂」として使える施設(システム)を作らないといけない。
次に、そこに知的エリートを志す人を集めなければならない。
そうして、そこが「アテネの学堂」として機能しはじめたならば、“知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たち”が自然と集まってくるようになるでしょう。
そうではなく。
まず大衆を啓蒙して、それによって大衆の中に「アテネの学堂」を望む機運が高まり、その結果「アテネの学堂」が大衆の中より自然発生的に立ち現れてくる──と、そんなシナリオを期待しているならば、それこそ10年20年のスパンで観ていないと。
たかだか3年や5年で「アテネの学堂は現れなかった・・・」と失望するのは、ちょっと早すぎるんじゃないでしょうかね。
まぁ、ぼくは「大衆を啓蒙して」という方向性は好きじゃないので、「アテネの学堂」が欲しければ、そう思う人たちが作ればいいじゃない、と思います。
初めは小さくていい。
志を同じくする二、三人だけで始めればいいじゃない。
いきなり大学を作ろうとせず、まずは寺小屋からつくりましょうよ、と。
寺子屋作って、そこで楽しそうに学んでいれば。
それを見た別の誰かが「面白そうだな。よし、俺たちもやってみよう!」となる。
そうして小さな「学堂」が次々と生まれ、やがてそれらが結びつきあい、巨大な「アテネの学堂」へと成長していく──と、そういうアプローチでいいじゃない。
もし、そうならなければ──フォロワーが誰も現れないとか、そういう場合は、やはりなにか、どこかに問題があるということでしょう。
たいていは、システムに無理があるとか、そもそも需要がないとか、そんなところです。
サブカルには放っておいても人が集まるのは、楽しいからです。
「知的な議論」に人が集まらないのは、楽しくない(というか、楽しさを知らない)からでしょう。
だったら、「知的な議論」を楽しいものにすればいい。
「才能の無駄遣い」な議論がバンバン行われるようにすればいい。
楽しくないものをイデオロギーでやらせるようなことは、ぼくは好かんですね。
梅田さんを「残念」に思う人の気持というのは、ひとつには、「誉めよう誉めよう」と言っている人が、日本のウェブにはダメ出しする、みたいなところに、ダブルスタンダードめいたものを感じるからじゃないでしょうか。
そしてもうひとつは、「実行者」じゃないところでしょうか。
これは昨日書いた「コンサルタントだから」しょうがないとは思いますが、もし梅田さんご本人が先陣切って「アテネの学堂」を作らんと活動していらっしゃれば、やはり応援したくなりますよね。
ぼくが原丈人さんを「すげーなー」と思うのは、同じオプティミストでも、彼の楽観主義は「なぜなら、私が実現させるから」というところで発せられているからです。
好き嫌いで言えば、ぼくはそういう人が好きなので。
ところで。
本日、またひとつ歳をとってしまいました。
ぼくは日本のウェブにおいても「アテネの学堂」はいずれ現れると思っています。
なぜなら、ぼくが作るから──と言えるように、まだまだ成長しなければ。
ぼくは日本のウェブにおいても「アテネの学堂」はいずれ現れると思っています。
ただ、そのままのネット空間をポンと用意して、「はい、ここがアテネの学堂ですよー」といったところで機能しないのは当然で。
「アテネの学堂」を作りたかったら、まず、「学堂」として使える施設(システム)を作らないといけない。
次に、そこに知的エリートを志す人を集めなければならない。
そうして、そこが「アテネの学堂」として機能しはじめたならば、“知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たち”が自然と集まってくるようになるでしょう。
そうではなく。
まず大衆を啓蒙して、それによって大衆の中に「アテネの学堂」を望む機運が高まり、その結果「アテネの学堂」が大衆の中より自然発生的に立ち現れてくる──と、そんなシナリオを期待しているならば、それこそ10年20年のスパンで観ていないと。
たかだか3年や5年で「アテネの学堂は現れなかった・・・」と失望するのは、ちょっと早すぎるんじゃないでしょうかね。
まぁ、ぼくは「大衆を啓蒙して」という方向性は好きじゃないので、「アテネの学堂」が欲しければ、そう思う人たちが作ればいいじゃない、と思います。
初めは小さくていい。
志を同じくする二、三人だけで始めればいいじゃない。
いきなり大学を作ろうとせず、まずは寺小屋からつくりましょうよ、と。
寺子屋作って、そこで楽しそうに学んでいれば。
それを見た別の誰かが「面白そうだな。よし、俺たちもやってみよう!」となる。
そうして小さな「学堂」が次々と生まれ、やがてそれらが結びつきあい、巨大な「アテネの学堂」へと成長していく──と、そういうアプローチでいいじゃない。
もし、そうならなければ──フォロワーが誰も現れないとか、そういう場合は、やはりなにか、どこかに問題があるということでしょう。
たいていは、システムに無理があるとか、そもそも需要がないとか、そんなところです。
サブカルには放っておいても人が集まるのは、楽しいからです。
「知的な議論」に人が集まらないのは、楽しくない(というか、楽しさを知らない)からでしょう。
だったら、「知的な議論」を楽しいものにすればいい。
「才能の無駄遣い」な議論がバンバン行われるようにすればいい。
楽しくないものをイデオロギーでやらせるようなことは、ぼくは好かんですね。
梅田さんを「残念」に思う人の気持というのは、ひとつには、「誉めよう誉めよう」と言っている人が、日本のウェブにはダメ出しする、みたいなところに、ダブルスタンダードめいたものを感じるからじゃないでしょうか。
そしてもうひとつは、「実行者」じゃないところでしょうか。
これは昨日書いた「コンサルタントだから」しょうがないとは思いますが、もし梅田さんご本人が先陣切って「アテネの学堂」を作らんと活動していらっしゃれば、やはり応援したくなりますよね。
ぼくが原丈人さんを「すげーなー」と思うのは、同じオプティミストでも、彼の楽観主義は「なぜなら、私が実現させるから」というところで発せられているからです。
好き嫌いで言えば、ぼくはそういう人が好きなので。
ところで。
本日、またひとつ歳をとってしまいました。
ぼくは日本のウェブにおいても「アテネの学堂」はいずれ現れると思っています。
なぜなら、ぼくが作るから──と言えるように、まだまだ成長しなければ。
by kude104
| 2009-06-04 15:05
| PC&ネット