世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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戦争を知らないぼくたちにも「戦後責任」はある

戦争を知らないぼくたちに戦後責任は存在するか? - Something Orange

この記事で言及されている山本さんの発言の要旨は「日本とか中国とか在日とかそういったラベリングの集団論で片付けていると、『個人の責任』を見失いますよ」というところにあるのではないかと思います。
ただ、その話の枕に「日本は中国に謝罪すべきか?」というデリケートな話を持ってきてしまったがために、本題よりも枕のほうがメイントピックになっちゃった感がありますね。

少なくとも、「謝罪する必要はない」とする山本さんの発言は、言うならば「戦中責任」について述べたものであり、kaienさんの仰る「戦後責任」とは、また別のお話になるように思います。


それはそれとして。
この記事を読んで、「戦後責任」についてのぼくの考えはというと。

国家として、今の日本に「戦後責任」があるかというと、あるでしょう。
国家にあるということは、その主権者である国民たる我々にも「戦後責任」がある、ということでよいかと思います。

今の日本という国が、大日本帝国、あるいはそれ以前と「同一」であるかというのは、厳密なところはよく分かりませんが、まぁいちおう日本は大和朝廷くらいからずっと天皇家が治める単一王朝ということになっているのかな。
別の王朝が打ち建てられたわけでもないし、異民族の国家に変わったわけでもないし、まぁ諸外国の扱いとして「同じ」と考えるべきだろうと思います。
せいぜい、政権や政治体制の交代レベルの認識でしょう。
われわれの意識としても、「日本」の誕生が戦後からという感じではありませんし。

だとすると、日本という国家には戦争を行った過去がある、ということになります。
ならば当然、今の日本に「戦後責任」はあるだろうと思うのです。

ただ、ぼくの思う「戦後責任」というのは、「過去の戦争で犯した罪に対する直接的な責任」ではなくて(それはまた別の責任のお話)、「かつて戦争をした」ということを踏まえて、今、そしてこれから、日本という国家がどうあるべきかということについての責任、という意味です。
kaienさんの仰る「戦後責任」というのも、たぶん同じ意味だろうと思います。

「戦後責任を持つ」=「謝罪と賠償」ではない。
戦後責任というのは、そんな小さなものではない。

ある人にとっては、「もう二度と戦争を起こさない」ことが戦後責任になるでしょう。
またある人にとっては、「もう二度と負ける戦争はしない」ことが戦後責任であるかもしれません。
言論の自由を守ることが戦後責任である人もいるでしょうし、参政することが戦後責任である人もいるでしょう。
国際貢献であるとか、そうしたことも戦後責任とは無関係ではありません。

要するに、あの戦争を教訓として、これからの日本にどう活かすかということですね。
何も学ばず、同じ失敗を繰り返すなら、それこそが「無責任」な行為じゃないでしょうか。

なので、戦後責任のまず第一歩は、あの戦争について知ること、考えることであろうと思います。
今回のこの記事も、戦後責任のひとつなのだ。
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by kude104 | 2009-04-25 22:23