世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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「世界のすべて」と「そんなことで」

先日の「大学院に進む人の10割は生きてていい」に頂いたyyさんからのコメントに対する返信というか、yyさんのコメントをもとに、元ネタについてもう少し考えてみたことを。
元ネタはこちら → 大学院に進む人の9割は死んでいい

まず。
そのことだけに打ち込んで、すべてを捧げて、それで挫折した場合、死にたくなるというのはまぁ分からないではない。
だって、それがすべてだったんだもの。

でも。
そのことの他に、普通に遊んだりテレビ観たりゲームしたりデートしたりして楽しく過ごしていたのなら、死にたいというのは分からない。
だって、別にそれがなくても楽しく生きていけるってことじゃない。

「科学への関心とか情熱とかは一切関係ない」って言っているけど、はたしてそうだろうか?
彼は全身全霊をかけて研究に打ち込んで、でも才能の無さゆえに挫折したのだろうか?
だとしたら、死にたいというのも分からないではないけど。

もし人並み程度の努力で挫折して、それで死にたいっていうのなら、それは単に自分で自分を悲劇の主人公にしたいだけじゃないかと思ってしまう。
だって、そんな人並み程度の情熱しか抱かなかった対象のために命を捨てるなんて。

それでもまぁ、「自分」が死に「たい」というのは良いとしよう。
でも、「自分たち」は死ぬ「べき」という物言いは嫌いだ。
自分の正義を押しつけて他人を巻き添えに死にましょうって、いつの時代だなんの宗教だと思ってしまう。

「こうすれば、日本の科学は飛躍的に発展する」とか「大学院生はきちんと社会にお詫びしながら死んでいくことができる」とか、こうした物言いの裏側に、ある種の傲慢さが伺えるように思う。
屈折したエリート意識のようなものを。
挫折したとはいえ、自分は社会をリードする優秀な人材たろうとした。
そのへんの平凡なやつらとは違う。
武士が誇りのために死ぬように、エリートは無能であることを恥じて死ぬべきだ──みたいなね。
それが凡人たちとの違いなのだと。

博士課程が「進むも地獄、退くも地獄」という話は、まぁなんとなく目にし耳にする。
でも、たとえば、挫折したミュージシャン。
たとえば、挫折したスポーツ選手。
たとえば、首を切られた派遣社員。
たとえば、リストラされたサラリーマン。
などなど。
たぶん、世間には似たような地獄がたくさんある。
そのすべてに「死ねばいいのに」で答えて行くのだろうか。

まぁ世の中、ファンだったミュージシャンが自殺しただけで命を絶っちゃう人もいる。
はたから見ていると「そんなことで」と思うことでも、当人にとってそれが世界のすべてであったりする。
逆に言えば、自分にとって「世界のすべて」であることも、他人にとっては「そんなことで」に過ぎない。
だからたぶん、この人が無能を悔やんで自殺したところで、他人にとっては「そんなことで」になるだろう。

同じことは、自分自身についても言えるかもしれない。
今の自分にとって「世界のすべて」であることも、未来の自分にとっては「そんなことで」になるかもしれない。
過去の自分の「世界のすべて」が、今の自分にとって「そんなことで」であるように。
「あなたがいないと生きていけない」と言っていた娘が、別の男を好きになるように。

そう思うから、ぼくには、本当にそれがために命を捨てるほどの物事がこの世にあるということが、なかなかピンとこない。
その人にとっては「世界のすべて」なのだろうなぁとは思うけれど、でも、ぼく自身の価値観としては「そんなことで」と思ってしまう。
だから、せいぜい「自分が死にたい」までだな。
他人に対して「死ぬべき」という発想は分からない。

まぁ、元ネタは「はてな」だし、「死んでいい」もいわゆるネットスラング的な「死ねばいいのに」程度の意味合いなのかもしれないけど。
どうもネットじゃ、みんな死ぬ死ぬ言いすぎちゃうのって思う。
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by kude104 | 2009-03-03 17:41