世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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それぞれにとっての神様

asahi.com(朝日新聞社):神は多分いない…英国で走る「無神論バス」 - 国際

一口に「神」と言っても、ひとそれぞれに思い浮かべる「神」は違うのだろうと思う。

たとえば同じキリスト教でもさまざまな宗派があって、宗派ごとに信仰に大なり小なりの違いがある。
ある宗派では神様はこうだと信じていても、別の宗派では違うと信じているかもしれない。
それは厳密にいえば、同じ神様を信仰しているように見えて、実は完全に一致した神様を信仰しているわけではない。
つまり、異なる「神」を信仰しているのだと言えなくもない。
反対に、ある宗教と別の宗教とは、一見異なる神様を信仰しているように見えて、実は同じ「神」を信仰しているということもあるだろう。

あるひとは「神などいない」と言いつつも、「運」を信じているかもしれない。
別の人は「運」のことを「神」として信仰しているかもしれない。
あるひとは、それを「偶然」と呼ぶかもしれない。
あるひとは、それを「宇宙人の仕業」と呼ぶかもしれない。

聖書に書かれた神は、かつて実際にいたかもしれないが、今はもういなくなっちゃったかもしれない。
いや、じつは今もいるけれど、人類を救うつもりは失せたのかもしれない。
いやいや、じつは聖書に書かれた神はいるのだけど、聖書自体が神の嘘で、実際は全知全能などではないのかもしれない。
本当は、神がサタンで、サタンが神なのかもしれない。

ぼくにとっては、神様がいようがいまいが、あまり関係ない。
たとえ神様がいるとしても、明示的にぼくの人生に介入してきていない(介入してきたとしても、それが神の仕業であると分からない)以上、いないのと同じです。
とはいえ、いないと証明できるわけではないので、いるかもしれない。

神様がいるからよい行いをしようとも思わないし、いないから悪い行いをしてもよいとも思わない。
神様に祈らないと救われないというなら、別に救われなくてもいいし。
死後の復活は魅力的だけど、復活の条件として信仰を強要されるんだったら、べつに復活できなくてもいいやと思うし。
もし神様が愛に満ちた存在なら、信じていなくても救うだろう。
救う救わないの基準が「自分を信仰すること」なんて神様は、そもそも信仰する気にならないし。

その一方で、神様を信仰することでよりよく生きられるのであれば、信仰すればいいと思う。
ぼくには今のところ神様は必要ないけど、心の支えや生活の糧として必要な人もいるだろう。
そういうひとから神様を奪うこともなかろうと思う。
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by kude104 | 2009-01-25 18:44